海島冐險奇譚海底軍艦

海底軍艦序

夫れ海は地表百分の七十三を占め、以て吾人の棲息する陸地を包圍す。故に人類とし又國民として世界に雄飛せんとする者は、必ず先つ此包圍を破りて激浪怒濤の間に縦横奔馳するの元氣無かる可らす。

英國何者そ、獨逸何者そ、佛國何者そ、露國米國何者そ、苟も雄を宇内に爭ふ者は、一として此元氣の勃興發動底止する所を知らさるに非すや。清國何者そ、韓國何者そ、土國何者そ、西國葡國何者そ、徒に廣大なる土地衆多なる人民を有すも、元氣銷沈して常に人後に瞠若たるに非すや。均く是一國なり、而して盛衰の顕著なる彼の如し。是豈故なしとせしむや。語に曰ふ、天に順ふ者は盛り、天に逆らふ者は衰ふと。前者の以て盛なる所の者は、天に順へはなり。後者の以て衰ふる所の者は、天に逆へはなり。夫れ我か海國民たる者は、抑前者たらむことを欲する乎、固より智者を待て後知らさるなり。

大瀛の水沌々渾々、其勢滔天の如きも、其源を繹ぬれは、潺々たる山間小流の湊合に非すや。葱嶺の山巍然として雲表に聳え、將に天を摩せむとするの慨あるも、其源を究むれは、微々たる路上細塵の集積に非すや。夫の強國の以って雄大致す所のものも、亦其源を推せは、總角丱たり、紅髮燐たる、可憐の兒女教育の發展に因するや、幾多の事實之を證して餘りあるに非すや。而して其然る所以のものは何そや、皆克く天に順ふの結果たらさるはなし。然ちは即ち、天下の大計知るへきのみ。雄を宇内に稱せむと欲せは、國を擧けて大に女兒教育の法を講し、以て其元氣の本源を開發するに若くはなきなり。今や我邦の教育は駸々其歩武進むか如しと雖。仔細に其状を察すれは、實に寒心に堪へさるものあり。請ふ内外の實例を擧けて之を證せむ。

回顧すれは今を距る十五年前 我か軍艦筑波の遠く新西蘭に航し、其澳克蘭港を解纜するの前日、艦長は滯港中其市民より受けたる懇迎を謝し、併せて別を告けむか爲め、一士官に命し風波を衝きて一艇を陸に特派せしめたり。而して其艇の、或は波頭に上り、或は浪を破つて、本艦に向かひ快走し來たる者あり、艦員皆怪み衆眸之に注く。須臾にして本艦に達し、其乘員の舷門に上り來たるを見れは、何そ圖らむ、過る數日、我か艦員の接待に、懇篤周旋の勞を取りし、妙齡の貴婦人令孃にして、總員八名一人の男子を混へす、我か明日の解欖を新紙に知り、來りて惜別の意を表せむか爲めならむとは。其風姿の美にして擧止の健なる、梅花積雪を凌くの慨あり。其公誼に厚く友愛に深き、以て四海兄弟の情を表するに足る。此の如くにして始めて大國民の母たり配たるに耻ちすと謂ふへし。

之に反して、昨初夏、我か海軍に於て主計官を學士に募るの擧あり。某法學博士、之か斡旋の勞をとりて、漸く五人の志願者を得たり、然るに怪むへし、數日ならすして此五人の者、悉く其志願を撤回せむとは。而して密かに其状を探聞すれは、皆是家母の不承諾に因ると、葢し其主因の、舊時の謬想たる海洋是地獄なる觀念の發現にあるや知るへし。

我か海國民たる者、此ニ譚を讀て、如何の觀をなすや。堂々たる大學々士の家母にして、今日尚此嘆あり。其他推知すへきのみ。是余の實に寒心に堪へすと言ふ所以なり。

葢しヘ育の根底は學校にあり、學校の根底は家庭にあり、而して家庭の根底は家母にあり。嗚呼、將來の國民をして開國進取の民たらしめむか、將た退嬰鎖守の民たらしめむか、國家盛衰の大問題は、一に家母の方寸に决せむとす。我か邦ヘ育の大過渡期に遭遇せる、敷島女子の責任や、重且大なりと謂ふへし。

余か海國民として、ヘ育上今日懷抱する所の意見、此如しと雖、ヘ育の事は多端、獨り學校と家庭とを以て滿足す可らす。故に學校家庭の内外に論なく、亦其直接と間接とを問はす、苟も海事思想の扶植に資するの擧あれは、余は常に双手を擧けて之を賛成す、况や其殊に婦女を感化するに有効なるものゝ出るに於てをや。近時漸く歴史に小説に、海事を談する者あるを見るに至れるは、余の大に悦ふ所、今又知友上村海軍少佐の、本書を携へ來つて、著者押川春浪氏の爲に、序を余に徴するあり。取て之を閲するに、資料を一種の専門知識に假るの述作たるに關せす、趣向の深遠にして、行文の輕妙なる、虚中に實を寫し、實中に虚を叙して痕跡を見す、其筆力能く我か男兒を奮起せしめむると仝時に、亦女子を感動せしむるに足るものあり。乃ち此著たる、間接上我か國民ヘ育の本源を啓發するの資に供し、裨uする所鮮少ならさるへし。喜に堪へす聊所見を書して以て序に代ふ。

明治三十三年十一月上澣

伴鴻海客 肝付兼行識

inserted by FC2 system